暖房器具から植木鉢へ。植物生育に欠かせない存在を目指す焼き物。

三河焼

碧南市や安城市、西尾市、高浜市で製造されている「三河焼」という焼き物をご存じでしょうか。

カトレアをはじめとするランの生育用陶器製植木鉢はほとんどが三河焼です。

そんな実は身近な焼き物である三河焼について、

三河陶器協同組合の代表理事・井澤俊大さんにお話を伺いました。

 

三河焼の歴史の始まりは、江戸時代末期遡ります。

長州(山口県)で陶工をしていた岡本銀造という人物が、

天保年間(1830~44)に現在の愛知県碧南市新川地区に移り住み、

七輪やコンロ、かまどを製造したのが始まりとされています。

三州瓦の産地であることからもわかるように、

碧南市を中心とする矢作川中流域は、砂と土のバランスが取れた上質な粘土が採掘できました。

全国的に見てもほとんど類例がないほどに直火に強く、その耐熱性の高さは「三河のバカ土」と呼ばれるほどです。

こうした性質を持つ三河土を原料とする三河焼。

草創期から昭和中期頃までは、その特性をストレートに生かした暖房器具が多く製造されたそう。

とりわけその特徴が表れているのが「二重コンロ」です。

その名の通り周囲が二重構造になっており、断熱に優れています。

着火している中心部は900℃ほどに達するのに対し、空気層を隔てた外部は30℃ほど。

このような温度差に耐えられる土はとても貴重。多くの土は破損してしまうのです。

三河焼が全国に広がっていった背景には、物流の発展がありました。

もともと日本各地にはその地域に根差した焼き物が存在していましたが、

「丈夫な焼き物がほしい」「含水率の低い焼き物がほしい」など、様々な課題を抱えていました。

その点三河焼は、使用している三河土の性質上、多くの課題を解決するものでした。

そのうえ古くから三州瓦が製造されていたという地域柄、

粘土を収める「陶土屋」から実際に焼く「窯元」まで生産工程が分業化されており、大量生産することができました。

質の良いものを安価に購入できるという点で三河焼は多くの地域のニーズを満たしていましたが、

ガスや電気の普及により直火の暖房器具は下火になり、三河焼の主力製品も植木鉢へと移り変わっていきました。

 

ただ、暖房器具を一切作らなくなったわけではありません。

七輪などはアウトドア趣味の方に一定の人気を博しています。

また、東日本大震災が発生した翌年の2012年には、

まだ震災の爪痕が残る宮城県塩竈市へ支援品として七輪1,000個を送りました。

火災にならずに暖を取れて料理もできるという点から重宝されたそうです。

現在の主力製品の植木鉢は、暖房器具から形こそ変わりましたが、品質の高さは受け継がれています。

三河焼は、JIS規格適合の三州瓦と全く同じ土を使用しています。

そのため焼成する際の収縮率が極めて高い基準で安定しており、仕様の揃った鉢を量産できるのです。

植木鉢の購入者層について以前はお年寄りがメインでしたが、コロナ禍を経て若年層も増えているのだそう。

三河焼の植木鉢は植物の生育に適していることが特徴。

「呼吸する植木鉢」と表現されるほど多孔質で水はけがよく、根張りを助けます。

三河焼と他の材質の植木鉢では、植物の生育結果に大きく差が生まれることがわかっています。

植木鉢の現在の定番商品は2~10号サイズで、それぞれ素焼きといぶしがあります。

小型の多肉植物を生育する方は小さなサイズ、

ヨーロピアンテイストのお庭を作っている方は素焼き、和モダンなデザインが好きな方はいぶしなどと、

好きなスタイルに合わせた商品が揃います。

植木鉢は三河焼を製造するメーカーのオンラインショップのほか、

全国のホームセンターでも販売されているので、手に取ってみてくださいね。

「三河焼を製造する各社は、植物生育に欠かせない存在になろうと研究を重ね、

海外へ最新技術の視察へ行ったり、後継者を育てたりしています。

みんな未来を向いて頑張っています」と井澤さん。

時代の流れに合わせてしなやかに変化を続けてきた三河焼。

各社の努力が今後どのような形で私たちの生活を彩ってくれるのか、楽しみに待ちましょう。

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