「歴史」と「現在」が交錯する醸造のまち。
半田運河
阿久比町に端を発し、衣浦湾にそそぐ十ヶ川。
その河口部分に位置する「半田運河」は、半田市のランドマークとして愛されています。
黒塗りの蔵が建ち並ぶ抒情的な風景は、どのようなストーリーを持つのでしょうか。
ときは江戸時代。
天然の良港「衣ヶ浦湾(現在の衣浦港)」を擁する半田村は、水運の要所として栄えていました。
その際に大きな役目を果たしていたのが十ヶ川、後の半田運河です。
江戸時代中期、元禄年間(1688~1704年)ごろになると
現在の半田市街に相当する市街地が形成され、
半田運河を利用して醸造品や木綿など知多半島の特産品が江戸まで船で運ばれていきました。
台風や大雨などに見舞われる度に氾濫が発生していましたが、村の有力者らがそのたびに改修を行い、
十ヶ川は半田運河という名称で広く知られるようになり、半田村のさらなる発展につながりました。
徳川御三家や尾張藩の奨励もあって隆盛を誇った半田村。
最盛期の19世紀半ばには75軒もの酒造家が建ち並んだといいます。
「知多の半田は蔵のまち」と歌われた面影は現在も残っています。
重厚な黒塗りの壁と白漆喰窓をもつ趣深い蔵が建ち並ぶ様は江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
1804年創業の「ミツカン(現mizkan)」が運営する「MIZKAN MUSEUM」や、
1845年開業の「中埜酒造」がかつて酒蔵として使用していた「国盛 酒の文化館」では、醸造の歴史を学ぶことができます。
かつては大きな船が行き交い商人たちの声が響いた半田運河も、
現在は遊歩道が整備され静かに時が流れる市民の憩いの場となっています。
2003年より毎年続く、市民から寄付された200匹ほどのこいのぼりが上空を泳ぐ光景も、半田の春の名物になりました。
「歴史」と「現在」が交錯する半田運河。
往時に思いを馳せながら、ふらりと散歩してみてはいかがでしょうか。