三州瓦を支える人たち vol.6(山房)

vol.6

業種を超えて手を取り合い、瓦文化を後世に伝える

三州瓦の生産者らは、古くから様々な工程を細かく分業することで、量、質ともに高い水準を維持し、需要に応え続けることで産地を守ってきました。三州瓦づくりにおける分業体制の中で、原料となる配合粘土の製造を手がける会社の一つが、碧南市にある「山房」です。

「山房」の歴史は昭和22年にさかのぼります。戦後間もない時代に粘土の採掘業を開始。10年後には土練機を入手し、粘土をプレスする前の状態である荒地(あらじ)を作る荒地屋へと商いを転換します。昭和34年の伊勢湾台風により甚大な被害を受け、一時は廃業の危機に直面したものの、粘土瓦の全国的な需要拡大などの追い風もあり事業を持ち直しました。そして、世の波を読んだ創業者は、原料の安定供給を目指して昭和42年、粘土配合所を立ち上げ、本格的に粘土の配合を手がけ始めました。

「山房」の3代目社長・原田泰志さんによると「祖父の時代は、今のようにユンボ(掘削用重機)もなく、備中や鍬などを使って農作業のように手作業で土を掘っていたようです」とのこと。この地方は、田んぼなど地面の表層を削るだけで容易に良質な粘土が採れたことから、三河エリアは瓦の名産地として認知を広げていきました。一方で「急激な需要の拡大に伴い、素材となる粘土の供給に限界がくると予見した創業者である祖父は、昭和42年に瓦粘土の配合に着手。粘土メーカーとしての地位をいち早く確立したようです」。

地元で掘削した粘土を、そのままの状態で瓦の原料として使用していたスタイルから、良い粘土を求めて掘削エリアを拡大。いろいろな場所から良質な粘土を確保して配合することにより量、質共に安定した粘土を供給する仕組みを構築しました。

元来、自然の産物である粘土は、掘削した場所や気候など様々な条件によって性質が大きく異なり、瓦として焼成した時の焼き上がりや焼き縮み率が一定にならないという課題を抱えていました。そこで、性質の異なる数カ所の粘土を配合することで、常に一定の焼き縮み率になるような粘土を人工的に作り出すという新しい業種が発展していったのです。

さらに「山房」では昭和46年、自社内に試験室を設置。配合した粘土ごとに焼き縮み率のデータを測定し、瓦メーカーに情報提示することで焼き上がり寸法のブレなどによるロスを減らすことにも注力し続けています。

原田さんによると現在、配合粘土の割合は「地土(じつち)」と呼ばれる三河粘土の割合が25%前後、「山土(やまつち)」と呼ばれる瀬戸や長久手方面の粘土が40%前後を占めるそうです。その他には瓦の成形、乾燥段階で不良品となった「白地(しらじ)」や、焼成段階で規格外となった瓦を微粉砕した粉状の「シャモット」と呼ばれる素材も配合して再利用するなど、貴重な資源を無駄なく活用しています。

「配合粘土の品質を左右する要素は、7割が仕入れる材料次第。残り3割は、どのような粘土をどんな割合で配合するかで粘土の質がほぼ決まります。もちろん土と土を混ぜる時点では、焼成した時にどれくらい縮むかはわからない。土の状態を目で見て手で触り、長年培ってきた手先の感覚と経験値からブレンド具合を判断するしかありません」と話す原田さん。

自然の資源である粘土は、常に性質が不安定であることから、採掘する業者との信頼関係も重要視する原田さん。実際に採掘現場にも足繁く通い、顔の見える関係を築いて細やかに情報交換をしています。

また、自身の目で見て、触れて、土と対話しながら土の様子を丹念に目利き。「配合した粘土が暴れてしまうと焼き上がりに大きく影響を及ぼすし、瓦メーカーに迷惑をかけることになる。だから配合する粘土一つひとつの選別や配合、一次処理後の検査機能など、感覚と数値をはじめとしたデータの両面から綿密に計算して粘土を作り上げています」。

三州瓦の産地である三河地方で幼い頃から生まれ育った原田さん。

「三州瓦の特徴って、耐火性能や耐寒性能、耐久性、断熱性など、性能面での優れた点を挙げればきりがありません。でも一番の魅力は、やはりやきものとしての質感や優しさ、重厚感といった、日本人の心に響く美的感覚のようなものではないでしょうか。日本らしい昔ながらの町並みと言えば、多くの方は瓦屋根の風景を思い起こすでしょ?粘土瓦にとって代わるそういう素材って、他にないんじゃないかな」。

「もちろん多様な選択肢がある中で、昔のようにすべての家に瓦が使われるという状況になることは難しいし、量的な需要の減少は避けられない。だからこそ、ただ闇雲に作り続けるのではなく、採掘業者や我々のような粘土配合業者、そして瓦メーカーといった各業種が協調し、今後残すべき物、求められる物を精査し、産地としての文化を絶やさない共存体制を構築することが必要だと感じています」。

異業種との交流や20代、30代の若き担い手を積極的に採用するなど、粘土瓦という文化、三州瓦という産業を守るための働きかけにも積極的に取り組む原田さん。

これからも三州瓦の産地を守り、後世に瓦の文化を受け継いでいこうという思いは、瓦製造の最初となる段階からも、強く感じ取ることができます。

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