三州瓦を支える人たち vol.2(マサヨシ)

vol.2

「鬼瓦は先人からの挑戦状。技と思いを、未来へつなぐ」株式会社マサヨシ

屋根飾りというイメージが強い鬼瓦ですが、そもそもの役割は、棟の両側から雨水が入ることを防ぐことにあります。「古来、日本では、屋根の棟端は神聖な霊所として崇められてきたことから、無病息災、家内安全、災害回避などの願いを込め、魔除けのような意味合いを持つようになったようです」と話すのは、鬼瓦の窯元であるマサヨシの社長、神谷亮さん。

祖父母が始めた鬼瓦製造。父の手によって量産体制が整備され、12年前に3代目となる亮さんへとバトンが受け継がれました。伝統と現代の感覚を融合させた「延慶シリーズ」など、新しい鬼瓦を製作することで瓦を残していこうと奮闘しています。

現代では大半の鬼瓦が機械生産されていますが、国宝や文化財級の建物を復元する際など、細かな意匠や特殊な技術を要する場合には、職人の技が欠かせません。その職人たちへの敬意を込めて、伝承技によって鬼瓦を作る熟練した匠のことを「鬼師」と呼びます。

住宅や屋根材の多様化により、一般住宅では目にする機会が減ってしまった鬼瓦。しかし、寺社仏閣や文化財など、伝統的な建築美を後世に残すため、鬼師の技の希少価値はますます高まっています。

機械による鬼瓦生産と並行し、4人の鬼師が活躍するマサヨシ。近年、京都御所清涼殿の屋根葺き替え工事に伴い、鬼瓦の復元を担当するなど、文化的価値の高い建築物の鬼瓦も多数手がけています。

「鬼瓦には、数百年前に作った職人の技や思いが宿っています。現代の私たちに送られた、挑戦状のようなものですよね」と語る神谷さん。鬼瓦と向き合い、その技術や手法を紐解きながら復元を試みる、そして200年、300年先の未来へと技を伝えていくという、重要なミッションを担っているのです。

「自分たちの命なき後も、子孫の財産となるような建物に携わることができる。職人にとっては、この上ない誇りだと思います」。

マサヨシの創業は、1954(昭和29)年。三州の瓦メーカーの中では、決して歴史が古い方ではありません。多様な屋根材が登場し、瓦自体の需要が減少する中、今なお三州が、瓦生産量の圧倒的なシェアを誇る一大産地として、その地位を確保できている理由について、神谷さんは先人の先見性とチャレンジ精神を挙げます。

「量産体制をいち早く整え、全国へ一斉に営業をかけて三州瓦の魅力を必死にPRし、知名度を上げてくださった。その先人たちの努力があればこそ、今の三州瓦があると思います」。

特別なメンテナンスをしなくても数十年と家を守ることができる耐久性、暑さや寒さにも強い耐熱性、技術革新による耐震性の向上など。長く安心して暮らす家づくりには、瓦屋根は欠かせません。「その優位性を、広く正しく知っていただくことが重要ですね」と言葉を継ぐ神谷さん。

「瓦をもっと身近に、親しみを持ってもらえる存在に」と、マサヨシでは多角的に瓦の楽しみ方を提案しています。その一つがエクステリアです。屋根の上だけではなく、アプローチの足元や壁、塀などの意匠として瓦を提案。瓦の持つ洗練感や上品さ、趣などを巧みに取り入れることで、オリジナリティに富んだ家づくりを実現しています。

「“瓦は屋根の上”という固定概念にとらわれず、用途に縛られない一つの部材として、設計をする方のイメージを膨らませるような提案をしていきたい」と話す神谷さん。

「もちろん、鬼瓦や日本古来のいぶし瓦など、屋根材としての瓦の魅力を再認識してもらいたいという気持ちは強いです。その第一歩として、瓦のことを知ってもらい、瓦ファンを増やす一助になればと思っています」と胸に宿す思いを語ってくださいました。

家づくりの部材としてのみならず、イベントなどでは、瓦と同じ材料、製法で作った箸置きやマグネットといった小物を販売。瓦との接点を増やすための取り組みにも力を注いでいます。

「国宝や文化財、寺社仏閣など伝統的な建築物の鬼瓦づくりに、果敢に挑戦すること。そして、DIY愛好家や日本文化に関心の高い海外の方へ訴求するなど、新たな瓦ファンを増やすこと。その両輪に取り組むことが、次世代につながると思っています」と、若き担い手としての思いを語る神谷さん。

確固たる生産体制の確立と同時に、伝統を受け継ぐ若き作り手の育成も進行中。過去と未来の架け橋として、瓦のある風景の豊かさを伝えてくれそうです。

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